大判例

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札幌高等裁判所 昭和25年(う)392号 判決

控訴人 被告人 武田正義

弁護人 広谷利三郎

検察官 小松不二雄関与

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人の控訴趣意は別紙のとおりである。

第一点

本件記録に徴すれば原審が釧路地方裁判所網走支部昭和二十五年刑公第二号被告人石崎信之に対する偽証被告事件記録編綴の

一、昭和二十四年十二月二十日附石崎信之の検察官に対する供述調書(同月十九日附検察事務官作成の石崎信之の供述調書引用)

二、同年同月二十一日附検察官作成の石崎信之の供述調書

三、同日附検察官作成の石崎信之の第一回供述調書

を夫々証拠として採用し、且つ右二、の書証を原判決が証拠として引用したことは所論のとおりである弁護人は右書証はいずれも証拠とすることに異議があつたものであるから之を証拠として採用し且引用することは違法である旨を主張するので先ず右(一)乃至(三)の書証の証拠能力につき検討して見ると本件記録によれば原審証人石崎信之は其の第二回公判期日において検察官の要証事項につき種々証言中検察官の「其のとき武田正義より何か話しがありましたか」との問に対し同証人は「其の事については起訴されて居て有罪判決を受けるおそれがあるので拒否します」と述べ次に裁判官の「どうゆう点が違つて居ましたか」との問に対し同証人は「其の点について私が起訴されて居るので答えられません」と述べたので検察官は其の後の公判期日において其の他の証拠書類と共に右一乃至三の各供述調書の証拠調を請求したところ弁護人より右各供述調書について証拠とすることに異議があつたため原審は右異議を却下し右各供述調書の証拠調をしたことが明白である刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号前段によれば検察官の面前における供述を録取した書面についてはその供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明若しくは国外にいたため公判準備若しくは公判期日において供述することができないときは之を証拠とすることができる旨を規定しているのであつてかかる規定を設けた法の精神は事実発見といふ刑事訴訟本来の目的を達するためには個人の有する証人に対する反対尋問権も或る程度の制限を受くることも亦已むを得ないとしたためであると解せられこの精神を推すと本件石崎証人の前記の如き経緯において其の供述の一部が再現不可能となつたような場合は右の規定に準じて考へ右各供述調書の証拠能力を認めるのが相当であると思料されるしかも右各供述調書の形式、内容と其の他原審の取調べた他の証拠と対比しても右各供述調書はその任意性及び信用性の点においていささかも欠くるところがないのみならず当審の事実取調べにおける証人石崎信之の供述及び取寄せに係る石崎信之の偽証被告事件記録を綜合して前記判断の正当性を裏づけ得るところであるしからば原審が前記各供述調書を証拠として採用したことは何等訴訟手続に違背するものではなく且つ右二の書証を原判決が証拠として引用することも亦支障のないことである従つて論旨は独自の見解に基ずき右各供述調書の証拠能力を否定するものであつて理由がない

第二点及び第四点

原判決の証拠として引用した昭和二十四年十二月二十一日附検察官作成の石崎信之の供述調書が証拠能力を具有する書証であり且つその信用性あることは前記第一点において説示したとおりであつて原判示事実は其の引用に係る証拠により之を認むるに足り原判決は証拠に基ずかずして原判示事実を認めたものではなく又記録を精査するも原審が重要なる証拠を逸脱して事実認定をしたとは思はれない所論は独自の見解に立ち原審の専権に属する証拠の取捨選択及び其の価値判断を攻撃するものであつて理由がない

第三点

原審の公判手続は公判調書によつてのみ証明し得るところであつて原審公判調書を通覧するも原審第四回公判調書の記載を除き弁護人所論の如き事実の記載はなく原審が起訴しない事実につき判決したとは見られないしかも前項において説示のとおり原判示事実はその挙示の証拠によつて認定するに足りるのであつて所論は独自の見解に基ずき原審の証拠の取捨及びその価値判断を攻撃するものであり採用に値しない

よつて被告人の本件控訴は理由がないから刑事訴訟法第三百九十六条により之を棄却すべきものとし刑事訴訟法第百八十一条第一項に則り当審における訴訟費用は被告人の負担とし主文のとおり判決する。

(裁判長判事 黒田俊一 判事 猪股薫 判事 鈴木進)

弁護人の控訴趣意

第一点原審裁判は証拠として採用すべからざるものを証拠として採用し且つ犯罪事実認定の証拠として判決理由に採用した違法がある

原審裁判官は検察官が証拠調を要求した左記書類を被告人弁護人の同意なくして証拠として採用し且つ其の内(二)は之を有罪の証拠として

判決理由に採用した

釧路地方裁判所網走支部昭和二十五年刑公第二号被告人石崎信之に対する偽証被告事件の刑事記録編綴の

一、昭和二十四年十二月二十日付石崎信之の検察官に対する被疑者供述調書 一通

及び右調書に引用した同月十九日付同人の検察事務官に対する供述調書

同記録編綴の

二、同月二十一日同人の検察官に対する被疑者供述調書 一通

三、同日附同人の同官に対する被疑者供述調書 一通

検察官は本件第二回公判(昭和二十五年三月二十九日)に於て証人石崎信之が要証事項に付証言を拒否したことを理由として刑訴三二一条第一項第二号に該当するものだとして右供述調書の証拠調を請求したのである 然し弁護人は証言拒否の場合は刑訴三二一条第一項第二号に該当しない従つて証拠とすることが出来ないものとして異議を述べたのである

其の異議の理由は其の際提出した証拠調に関する異議の申立を陳述した書類に詳細論議して居るので茲では簡単にその理由を開陳する

(一)証言拒否は証言不能ではない

法は証人が死亡、疾病、行方不明及び国外に在る場合即ち四ツの原因により公判に於て供述することができない場合と限定しているのである

本件の証人石崎信之は健康で出廷しているので右四つの場合のどれにも該当しない

或者は右は例示的と解すべきものと主張するが条文は明らかに四ツの場合と限定している

元来刑訴三二一条は刑訴三二〇条の大原則の例外規定であるから厳格に解釈すべきものである

(二)証人は法によつて与えられている権利に基いて証言を拒んだのである証言拒否を証言不能と解するは違法である

尚刑訴三二一条の英文を見ると供述不能の原因として例示的な意味が全然ないことを附言する

(三)証言の拒否は刑訴三二一条第一項第一号第二号に所謂「前の供述と相反するか若しくは実質的に異つた供述をしたとき」に該当しない相反するとか実質的に異つた供述とは二つの供述が存在することを前提要件とする

然るに本件の証人は証言を拒んだのであるから比較すべき供述がないのである

故に証言拒否を先の供述と相反する供述と解釈することは実験則又は条理に反する

尚刑訴三二一条の英文を一読すれば証言を拒んだ場合即ち証言を与えざりし場合は絶対に含まざることは明らかである

以上の理由によつて原審裁判官が前記の供述調書を証拠として採用した事及び之を判決の証拠としたことは違法であつて原審判決は破毀を免れないものと信ずる

第二点原審判決は証拠に基かないで事実の認定をした違法がある。

原審判決は其の理由に於て「被告人はその実弟である武田昭治外五名に対する贓物故買被告事件が釧路地方裁判所網走支部の公判に繋属中の昭和二十四年九月二十日頃の夜網走郡美幌町東三条南一丁目二番地の自宅において当時すでに同被告事件の証人として召喚状の送達をうけていた同町仲町二丁目に住みもと札幌財務局北見地方部美幌分室の監守をしていた石崎信之に対し「弟の昭治は硝子六十枚の贓物故買がないということになれば大した問題にならないのだから証人調の際には君達から買つた硝子六十枚は君達が職場で配給になつたものだと思つて昭治が買いうけたものと思う旨申して呉れたい」と虚偽の供述をするよう教唆し(後略)云々と判示し犯行の日時を昭和二五年九月二十日頃の夜と認定した而して教唆の日時は本件に於て犯行の重要な要素であることは勿論犯罪事実の真実性に付て重要な要素であることは言を俟たない所である。所が原審判決に於て証拠とした釧路地方裁判所網走支部昭和二十五年刑公第二号被告人石崎信之に対する偽証被告事件の刑事記録編綴の検察官に対する石崎信之の昭和二十四年一二月二十一日附被疑者供述調書中の供述記載によれば「二、私が本年九月二十二日武田昭治等に対する贓物故買被告事件の証人として美幌簡易裁判所の法廷でお尋ねを受ける一週間位前の事であつたと記憶致します武田昭治が私方に来て遊びに来ないかと言う様な事を申したので私は武田昭治と一緒に武田の家に参りましたそして武田昭治の兄さんの家の裏の家に参りましたが其の時其の茶の間には網走の広谷弁護士さんが来て居りお客さんがあるからと云うて昭治に案内をされて其の家の二階に上りましたすると其の二階では昭治の外名前の判らない三人ばかりの人が麻雀は判らないので其処で本を読んで居りましたそれから約一時間位過つてから私は階下に降りて行きましたらお客さんは帰つて其処の茶の間には広谷弁護士さんと武田昭治の兄さんとが居りました私はその茶の間に座つて何か話したかとうかは記憶ありませんが間もなく武田昭治の兄さんが私に少し休んで行けと云つて其の家の前にある武田昭治の兄の店の奥の座敷に案内されました其の時刻は大体九時過頃でなかつたかと思います三、其の部屋に座つて間もなく武田昭治の兄さんがジョツキの様なものに酒を入れて持つて来ましたそして私はコツプで三杯か四杯酒を御馳走になつたのであります(中略)其の際昭治の兄が私に「弟の昭治が硝子六十枚の贓物故買がないと云う事になれば大した問題にはならないのだし君達も罪が軽くなるのだから証人調の際には昭治が君達から買つた硝子六十枚は君達が職場で配給になつたものだと思つて昭治が買受けたのだと思うと言ふ様なふうに言つて呉れ」と頼まれたのであります」と陳述して居るので教唆の日は証言をした日即ち昭和二十四年九月二十二日より一週間前即昭和二十四年九月十五日頃となるのでありまして判示のように昭和二十四年九月二十日頃とは非常に違うのであります

尚原審判決には証拠となつていないが証拠として採用された昭和二十四年十二月二十日附検察官に対する石崎信之の供述調書によつても其の「三」に教唆の日時を本年九月中頃の午後八時頃と供述して居り更に本件偽証教唆被告事件に付昭和二十五年三月二十九日第二回公判に於て石崎信之が証人として訊問されたとき検察官の問に対し問証人は武田昭治の贓物故買事件で証人として美幌簡易裁判所で釧路地方裁判所網走支部裁判官の取調を受けた事がありますか答はいあります問其の取調を受ける前に武田昭治の家に行つた事がありますか答はい何日位前であつたか判然しませんが五日位前に行つた事がありますと証言して居るので尤も近い公判の証言を以てしても九月十七日頃となるので判示のように昭和二四年九月二〇日頃と云う事は如何しても判断することは出来ません然らば其の日時の点については「被告人の当公判廷における判示武田昭治等の贓物故買被告事件が判示裁判所の公判に繋属中の判示日時頃判示石崎信之の来訪を受け酒を馳走したこと」によつて認定したというならば被告人の供述を検討して見る必要がある此の点につき昭和二十五年五月二十九日の第四回公判において裁判官の問に対し被告人は「問石崎が被告人の家に来た事があるか答はい昨年の九月頃にあります問どの様な用事で答経費の問題で皆を集めて呉れと広谷弁護士さんから言われたので弟の信夫の家に集つた事があるのです其の帰りに弟の昭治と二人で来たのです問其の晩被告人は信夫の家に行つて居たのではないか答はい行きましたが皆より先に帰つて来て家に居たところ二人が来たのです問その時酒を御馳走したのか答はい問其の場で弟昭治の事件で石崎が証人として呼ばれて居ると云う事は聞きませんでしたか答聞いて居りませんが公判があると言う事は弟から聞いて知つて居りましたが石崎が証人として呼ばれて居ると言う事は知りませんでした問其の場で石崎に弟が買つた硝子について頼んだ事はないか答ありません問石崎が証人として取調を受けたときうそを言つたと言う事は知つて居るか答知りませんが逮捕状をつきつけられた時始めて石崎さんがうそ云つたのかと思つたのです」と供述して居るがその供述は昨年の九月頃と丈けであつて九月二十日頃との陳述はない従つて被告人の供述自体からも偽証教唆の日時が昭和二十四年九月二十日頃なりとの判断は出来ない筈である唯広谷弁護士即ち私が昭和二十四年八月二十三日幽門狭搾症で北大柳外科に入院手術して九月十五日退院し九月十六日網走市に帰り翌九月十七日松田派の衆議院議員選挙法違反事件の公判に立会し同月十九日美幌管財事件の一部である山田重忠外三名の窃盗被告事件馬場博士外三名の贓物故買被告事件の公判に立会した事は原審裁判官に於て其の審理をしたので当然知つて居る事実であり且九月二十日二十一日二十二日美幌簡易裁判所において証人尋問に立会した事は原審裁判官において顕著な事実なので其の予断を以つて事実を認定したものと謂わなければならない教唆の日時については石崎の検察官に対する供述は全部虚構であることは広谷弁護士が其の日時に美幌町に居なかつた事実によつて誠に明瞭である然も其の日時と教唆の事実とは一体不離の供述として其の真実性を検討しなければならない何となれば石崎信之は公判に於て証言を拒否して居る其の供述が事実ならば何を恐れて供述を拒否する必要があろうか併も被告人は検察官に対し亦公判廷において其の教唆の事実を否認し且淡々として事実其の儘の供述を確信をもつて供述して居る本件唯一の証拠は虚偽に満ちた石崎信之の供述のみである

原審判決は以上述べるように証拠によらず事実を認定したか或は不当に証拠を適用した違法があるので当然破毀を免れないと信ずる

併して石崎は其の偽証罪については既に判決が確定して居るので現在においては証言拒否権を行使することが出来ないので破毀の上差戻しか或は自判して唯一の証人である石崎信之を訊問し事実の真実を発見し判決の適正を期すべきものと信ずる

第三点原審判決は起訴せざる事実に付判決した違法がある且証拠によらずして事実を認定した違法ある昭和二十四年十二月二十八日附起訴状によれば被告人に対する公訴事実は「被告人武田昭治外五名の贓物故買被告事件につきその証人として召喚を受けた石崎信之に対し昭和二十四年九月二十日頃網走郡美幌町の自宅に於て真実弟昭治が昭和二二年十月頃石崎信之等から贓物であるに拘らず「弟昭治が君達から買つた硝子六十枚は君達が職場で配給になつた品で昭治は盗品であると言う情を知らないで買つたものだと思うと証人尋問の際申して呉れ」と教唆し同年九月二十二日美幌簡易裁判所において釧路地方裁判所網走支部裁判官の尋問に対し右石崎信之をして宣誓の上その旨虚偽の陳述をなさしめたものであると言うにあつた併し昭和二十四年九月二十二日美幌簡易裁判所における証人石崎信之の証言中には何処にも教唆せられたりと検察官が云う前述の供述がないのであるそこで弁護人から其の点につき「その旨虚偽の陳述をなさしめたものである」と起訴状にあるは如何なる供述を謂うか釈明を求めんとした所飯島裁判官に於て釈明を求めると言うから裁判官に釈明を任せたところ昭和二十五年五月二十九日第四回公判(結審の日)において釈明を求めた所検察官はその旨とは「私達が職場で払下を受けて其れを売つて居るのだと思つて居たかも知れません」旨虚偽の陳述をなさしめたものであると述べ右の様に訴因の変更をして戴きたい旨述べたので弁護人は異議がない旨述べ裁判官は検察官の右請求を許可する旨告げたのである然るに第四回公判調書を一見するに及んで弁護人は亜然として驚いた其の調書には検察官は右釈明に対し石崎信之は宮崎靖夫外二名と共謀して昭和二十三年十月頃盗んだ品で硝子六十枚を武田昭治に売る際当時管財職員に対し硝子の払下及び職場に対する配給がなく且つ武田昭治が右硝子が盗品である事の情を知り乍ら買受けたに拘らず「私達は職場で払下を受けて其れを売つて居るのだと思つて居たかも知れません」旨陳述したと述べ右の様に訴因の変更をして戴きたい旨述べた弁護人は異議がない旨述べた裁判官は検察官の右請求を許可する旨告げたと謂う記載になつて居るので弁護人は一驚を叱したこの様な訴因の変更なら刑訴二〇九条の規定通り書面による変更を求め簡単に同意する筈がないのであるのみならず斯くの如き訴因の変更は公訴事実の同一性を害するものと思料する然も其の調書は六月二日作成された事になつて居るが弁護人が調書を閲覧することが出来たのは判決謄本の送達を受けた後であつた然し乍ら公判調書の記載のように訴因が変更されたとしても公訴事実は其の証拠がない唯証拠の明らかな部分は「武田が私達が職場で払下をうけたものを売るのだと思つて居たかも知れません」旨虚偽の陳述をし偽証をしたという点丈けでそれが硝子六十枚と関聯する点については全く証拠がない却つて石崎の証言には硝子六十枚については「武田は私達が職場で払下をうけたものを売るのだと思つて居たかも知れません」旨の供述は全然関係ない確証がある昭和二十四年九月二二日美幌簡易裁判所における石崎の証言中検察官は証人に対し「問硝子は何処にあつたか答監守所です問何枚売つたか答六十枚と思います問どんな硝子か答美濃版より小さいのと半紙版より小さいのと合せたのをです問やはり武田に買つてくれと言つたのか答宮崎と相談して売つたのですが交渉は宮崎がしました」との供述更に「問硝子六十枚売るときこの硝子は福鎌病院に払下げたものと関係あると話しをした事がないか答福鎌病院に払下げた残りの物だと言つた様に思います問払下げた残りは貴方達の物となるのか答岩瀬から分配を受けましたから宮崎がそれをまとめて武田と交渉しそれも売る様になつたのです」との供述を綜合して考察するに硝子六十枚の売買は宮崎が交渉に当つたことは明らかで石崎がそれについて武田に何等話合をすべき筋合でなかつた事及び福鎌病院に払下げた残りの物だと言つた様に思いますとの事実は職場配給のものだと言わなかつた確固不動の証拠と謂わなければならない尚六十枚の硝子の売買については第二回公判(昭和二十五年三月二十九日)において武田昭治が証人とし取調を受けた際検察官の問に対し「間証人は石崎信之等から硝子鉄管戸棚を買つた事があるか答あります問何時頃買つたのですか答昭和二十三年の十月頃だと思います問どうゆう経緯で買うようになつたのですか答払下げを受けた三角兵舎を航空基地に運搬に行つて居るとき監守詰所に水を飲みに行つたり等した時に通りがかりに車庫え戸棚が入つて居たのを見たのでわけて呉れないかと石崎さんに頼んでわけて貰つたのです、硝子は宮崎さんから要らないかと言われて当時家屋の増築をして居て必要だつたのでわけて貰い鉄管は電線を通すのに藤井さんに云われてわけて貰つたのです」との供述更に第二回公判において石崎信之が証人として取調を受けた際検察官の問に対し「問証人は武田昭治に対し硝子、戸棚、鉄管を売つた事がありますか答はいありますが硝子は宮崎さんが売つたのであつて私が直接売つたのではありません」との供述を綜合して考察するに硝子の売買は武田宮崎間に直接交渉が行われたので実際問題として石崎が硝子の売買に関与しなかつたことは誠に明瞭であります此の様な明瞭な証拠を無視して之と相反する公訴事実を認定した原審判決は証拠によらずして事実を認定した違法があり到底破毀を免れざるものと信ずる

第四点原審判決は重要なる証拠を逸脱して事実を認定し或は証拠とすべからざるものを証拠とした違法がある

証拠の採否は勿論原審裁判官の専権であつて自由であるが本件の様に被告人は公訴事実については絶対に自供して居らず唯一の有罪の証拠となるのは石崎信之の検察官に対する供述調書である而して石崎信之の検察官に対する供述調書は石崎が公判に於て証言を拒否した事によつて刑訴三二一条第一項第二号に該当するとして検察官が証拠として取調を請求したものであつて弁護人は之を証拠とすべからざるものなりとして異議を述べた事は第一点に詳細に述べた通りである尚石崎の供述調書の真実性のない事については第二点に之亦詳細に述べた通りである従つて原審裁判官が之を証拠として採用ずるには愼重の考慮を払わねばならぬ事は当然である被告と石崎との間に如何なる談話が取り交わされたか即ち石崎の供述する如き事実があつたか如何かは武田昭治以外に知る人はないのであります此の点に付武田昭治は昭和二十五年三月二十九日第二回公判に証人として取調を受けた際検察官の問に対し「問石崎は下に降りて来て直ぐ帰つたのですか答兄信雄の家を私と一緒に出て私の家で休んで行きました問其処には証人と石崎の他に誰が居りましたか答はい兄の正義が居りました問その時酒でも出たのですか答はい私達が入つて行つたとき兄が独酌して居たのですが石崎さんにも御馳走しました問その時兄正義と石崎は何か話をして居りましたか答判然判りませんが酒が好きだとか世間話をして居りました問何か事件の事について話をして居りませんでしたか答しないと思います」旨供述し更に裁判官の尋問に対し「問石崎が証人の事件で証人として取調を受ける前に証人の事について証人の兄正義から石崎に頼んで居た様な事は知つて居りますか答いゝえ知りません」旨供述して居る此の証言は石崎の供述にある教唆の事実のなかつた有力なる反証と謂わなければならない

尚原審判決は補強証拠として被告人の公判廷における供述即ち石崎信之の来訪を受け酒を馳走したこと右石崎信之に対する窃盗被告事件の第一回公判前同人に対し金五千円を貸与した事実を採用して公訴事実認定の資料として居るが之亦誤れる見解である。

酒の供与は被告人の晩酌の場面に来合せた石崎に対する一般の儀礼に過ぎない五千円の貸与は七月中の出来事で本件の証拠調等が夢想だにせられない時に被告が石崎に同情して貸与しもので本件公訴事実とは何等関連性がない

被告が人間として同情して為した行為が被告の罪を断ずるワナになつたとするならば被告にとつては泣いても泣ききれない不運と謂わなければならない

斯くの如く吾人の常識と逆な事実を以て補強証拠としなければならない程石崎の供述が真実性のないものだから之を証拠として公訴事実を認定した原審判決は失当で破毀を免れないものと思料する

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